愛のことばとポライトネス
大学時代の卒論で扱った、ポライトネス理論。
簡単にいうと、人は相手の面子を守るために、
言語表現を工夫しているというお話。
ポライトネス理論では、わたしたちは
人の面子(=face)を傷つけないために、
配慮した表現をすると考える。
たとえば、何かに誘われて断るときに、
「なんとなく行きたくない」が理由であれば
「行きたくない、行かない」で伝わるのに、
あえて「ごめんね、用事があって」などと
伝えるのがよい例だ。
逆にいうと、ポライトネス理論においては、
相手の面子(=face)を傷つけない場面では
配慮をして表現を変える必要がなくなる。
ところが、わたしたちが愛を語るとき、
なかなかストレートに伝えられない、
といったことは往々にして存在する。
相手の面子(=face)を尊重する
ポライトネスの戦略は必要ないというのに。
相手に対して愛を伝えるとき、
相手の面子(=face)は傷つくどころか、
より尊重されることになるはず。
それなのに、ストレートに伝えにくいのは、
愛のことばたちがもつ価値が
乱用によって薄れていくことを恐れるから
だろうか。
まるで、敬意の逓減のように。
あるいは、相手に愛のことばを伝え続けると
自分の面子(=face)が守れなくなるとか?
引き続き、じわじわ考えを深めたいものです。